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国宝迎賓館の設計者、片山東熊の姻戚子孫の記事一覧

片山東熊(国宝迎賓館の設計者)と田邉(辺)朔郎(京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者)が義理の兄弟 ― 姻戚子孫が語る(5)

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―― 片山東熊は、1979(明治12)年に工部大学校を造家科第一期生として卒業し、直ちに工部省へ入省しました。そして1989(明治22)年に宮内省内匠寮に転省しました。そして1904(明治37)年から1915(大正4)年まで内匠寮の長官である内匠頭を拝命していました。

―― 田邉朔郎は、1983(明治16)年の土木科第五期生ですから、二年間だけ片山東熊と田邉朔郎は工部大学校において同窓生だったことになります。

―― 田邉朔郎の姉、鑑子(てるこ)が片山東熊に嫁いだ縁は、おそらく工部大学校での二人の縁であったと私は想像しています。それにしても明治武力革命をしかけた長州軍の人間に対して、負けた徳川幕府の幕臣の娘が嫁に行ったとはおどろきです。しかも戦争から、20年しか経過していないのに。

片山東熊と田邉朔郎の話はいったんここで中断し、明日から朔郎の岳父北垣国道の話をします。北垣国道も長州人です。

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片山東熊(国宝迎賓館の設計者)と田邉(辺)朔郎(京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者)が義理の兄弟 ― 姻戚子孫が語る(4)

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―― 京都琵琶湖疏水の鹿ケ谷支線が南禅寺を横切る際に通過する水路閣を御存知でしょう。ローマ時代を思わせる水路橋です。現在、京都の観光名所として著名です。これは朔郎が東熊に頼んで設計してもらったのではないかと考えています。少なくとも意見を聞いたと考えています。仲の良い義兄弟ですから。

―― もう一つの観光名所、インクラインもご存知でしょう。その下をくぐる人道があります。これは煉瓦巻きで作られています。その煉瓦の巻き方がとても上手です。京都で暮らしていた子供時代に何度もくぐりました。そのつど、その美しさに見とれていました。螺旋形に上手に積み上げています。これも朔郎が片山東熊に相談したと私は思っています。

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片山東熊(国宝迎賓館の設計者)と田邉(辺)朔郎(京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者)が義理の兄弟 ― 姻戚子孫が語る(3)

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―― 皇居内豊明殿の直ぐ横にレンガ作りの煙突があったそうです。地震でもおきたら大変と、宮内省内匠頭(たくみのかみ)を拝命していた片山東熊から田邉(辺)朔郎に相談がありました。朔郎は早速に設計・建設に取り掛かり、1891(明治24)年に完成しました。

―― 約30メートルの鉄製煙突は当時としては断然新記録です。エッフェル塔が完成したのが、その2年前の1889年ですから、鉄製構築物としてはいかに早かったかがお分かりでしょう。

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片山東熊(国宝迎賓館の設計者)と田邉(辺)朔郎(京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者)が義理の兄弟 ― 姻戚子孫が語る(2)

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―― 琵琶湖疎水の中に、片山東熊が設計した建物があります。レンガ作りの小さな建物です。第一疏水京都川の最終トンネルである日ノ岡山トンネルの京都側出口の、トンネルに向かって右側の運河沿いにある現在使用されている"九条山浄水場"取水ポンプ室です。

―― この建物は、京都御所を守るために設置された"防火用水取入れ口"の建物でした。田邉朔郎は、揚程(水を上げる高さ)の大きなポンプがなかった時代に落差圧を利用して高所への散水を可能としたものです。

―― この落差式防火水システムは、宮内省内匠寮(たくみりょう)の長官、内匠頭(たくみのかみ)片山東熊が朔郎に頼んで設計・建設してもらったものです。1912(明治45)年に完成しました。

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片山東熊(国宝迎賓館の設計者)と田邉(辺)朔郎(京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者)が義理の兄弟 ― 姻戚子孫が語る(1)

さる今週の日曜日(11/6)、国宝迎賓館を拝観しました。はがきで申し込んだ結果、当ったものです。生まれて初めての拝観でした。大感激しました。

―― 家内と二人で申しこみ、同時に娘も家内と二人で申し込みました。すると同じ日に2件とも当たりました。ですから、三人で拝観できました。娘の田邉寛子は早稲田大学の理工学部建築の修士をでた建築エンジニア(一級建築士)ですから、京都大学工学部燃料化学の修士をでた化学エンジニアの私以上に興味をもっているようです。

―― 片山東熊は、国宝迎賓館の前身、赤坂離宮の設計・建設者です。京都の命の水、琵琶湖疏水の設計・建設者の田邉朔郎の姉、鑑子(てるこ)が嫁に行きました。ですから片山東熊と田邉朔郎とは義兄弟です。

―― 仲のよい二人は、お互いに助け合って仕事をしました。そして東熊は建築、朔郎は土木の、歴史に残る実績を残しました。その二人三脚の姿を田邉朔郎の子孫(直系の孫)であり、片山東熊の姻戚者である私、田邉康雄が以下のブログで紹介します。

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