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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(3-3) ― 子孫が語る。

徳川幕府のNo.1"職業外交官"田邉太一の生き方を尊敬する子孫が、太一に代わって太一の本音を想像して「つぶやき」の形で紹介しています。

(3)英國公使アールコック三年在日本記事中、その事を記して、曰く千八百四十五年、英國か初て支那と戦へる以來、蘭人は世界必然の變遷を告知して、日本の耳目を開きたり、外人が日本に入るの道を準備せし、和蘭政府の公平の處置は、諸國より感謝を受るの理あり、就中、千八百五十四年ぺルリ提督が開港の功を奏したるは、蘭人豫告の力、與りて功なくんばあらず
駐日英国公使は「日本三年在住記」の中で言う。曰く「オランダ政府は、『アヘン戦争の二の舞にならないように』と日本に1年も前から繰り返し忠告した。日本においてオランダ以外の欧米列強国が活動する道を開いたことは、列強の一員として感謝している。オランダのお蔭でペリーは日本を開国させることができた。オランダ政府に感謝しても感謝し足りない」と。

(4)これ我國の國を開きしは、かの和蘭國王よりの忠告に源せしものとして、論せるものなり、されど、其實は、前にも説けるごどく、全くしかりとはいふ能はざるものなれども、理を推し勢を察すれば、自然の運此のごとくなるものを見るべし、
オールコックは、オランダ忠告のお蔭で日本は開国できたといっている。しかしこれは少し言いすぎであろう。日本の開国は時流に逆らうことのできない処置だった。即ち開国そのものはオランダ政府の通告がなくてもやっていた。それにしてもペリー来航を1年も前に通告してくれたにも拘わらず、情報を活かし切れなかった阿部正弘の無策を嘆く。繰言になるが。

次のブログにつづきます。

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