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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(4-4)

前ブログからつづく。

田邉太一は阿弥陀如来様の御許から昭和を嘆いてつぶやく。
<バルチック艦隊撃滅の勝因>
海軍の大艦巨砲主義は、薩摩の東郷平八郎の老害によるところ大。東郷の初陣は薩英戦争だった。日清日露の海戦を経験して自信過剰だった。日露戦争の勝利は作戦の勝利ではなくて、工学の勝利であることをすっかり忘れていた。B&S社を訪問して「日本海海戦の勝利はあなたたちが製造した距離測定器のおかげ」と演説したではないか。T字戦法で勝ったのではない。

田邉太一は阿弥陀如来様の御許から更につぶやく。
<大艦巨砲主義>
大東亜戦争の緒戦において日本は、航行中の英国戦艦プリンスオブウエールズと重巡レパルスを航空機によって撃沈した。これは画期的成果だった。一方、戦艦大和と同武蔵は、航空機による攻撃を受けて戦わずして撃沈された。敵をとられたのだ。大艦巨砲主義を捨てて空母建造作戦に変更していたら、大東亜戦争は別の形になっていた。いや開戦しなかったかも知れない。

田邉太一は阿弥陀如来様の御許から昭和を更に々々嘆いてつぶやく。
<陸軍の精神主義>
長州の伝統を引き継ぐ陸軍もひどい。オーエスタンレー山脈越えポートトモレスビー攻略、ニューギニア戦線はひどい。その後の補給なしの銃剣突撃によるインパール攻略作戦、これら無謀な作戦は、長州の伝統だ。後先を考えずに倒幕戦争の戦端を開いた長州の伝統そのものだった。1864(元治1)年に攘夷の勅状を真に受けて下関で外国船に砲撃開始した長州そのものだ。

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明治維新なる名称を使った薩長の詭弁を突く。

田邉太一はつぶやく。
<薩長の倒幕戦争>
松平直克が政治総裁になった時期は、幕末の動乱期だった。1863(文久3)年8月18日の政変→七卿落ち→生野の挙兵→蛤御門の変→第一次長州征伐→第二次長州征伐→伏見鳥羽街道の戦い→東北戦争→函館戦争と繋がる明治武力革命の発端時期に当たっていたのに本人はそれに気がつかず、それを防止できなかった。幕府上層部は何をしていたのか。無能の一言に尽きる。

次のブログにつづく。

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