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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書幕末外交談から(4-3)

前ブログからつづく。

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600年振りに成った源頼朝子孫、薩長の復権

田邉太一はつぶやく。
<源頼朝の怨念を薩長が晴らした>

明治の薩長政府は、北条によって鎌倉を乗取られた源頼朝の側近島津と毛利が750年振りに復権したと見れば面白い。頼朝の庶子、島津忠久は北條政子の嫉妬を受けて、僻地薩摩へ左遷された。腹心大江広元の子、毛利季光も僻地長州へ。頼朝の墓に、頼朝に寄り添うように忠久、季光の墓が並んでいるのは実に興味深い。もちろん後の世に島津毛利が建てたものだが。

田邉太一はつぶやく。
<薩長は新貴族を創って自分が貴族になった>
薩長武力革命政府は、歴史的貴族を廃して新たな貴族をつくり、自分が貴族になった。欧州のプリンス、デューク、カウント、バイカウント、バローンを古代支那大陸の封建時代、周王に封じられた公爵、候爵、伯爵、子爵、男爵を当てはめた。自分達が入り込める形にしたと言わざるを得ない。伊藤博文は公爵、大久保利通も侯爵だ。下級武士から貴族トップだ。

阿弥陀仏の下で田邉太一はつぶやく。
<薩長は自分たちの軍隊のリーダーを貴族にした>
薩長武力革命政府は、自分達が貴族になるだけではなく、自分たちの軍隊のリーダーを貴族にした。例示すると日清日露戦争で功績を上げた薩摩出身の陸軍大将大迫尚敏・尚道兄弟を子爵・男爵に列した。軍人は戦争をすれば出世するという枠組みをつくり、戦争が必要とされた。これが大東亜戦争に突入した真の理由だ。後の世に提唱されたシュンペーターの理論通りだ。

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頼朝軍事政権の末路

田邉太一は阿弥陀如来様の御許から昭和を嘆いてつぶやく。
<大日本帝国陸海軍>
徳川幕府が江戸に開いた軍事政権を薩長が倒して自分たちの軍事政権を樹立した。大日本帝国陸海軍は、薩長軍事政権の拠り所だった。この軍事政権が大東亜戦争をまねいた。この敗戦によって薩長軍事政権が明治武力革命以来70有余年でやっと崩壊し、民政がやっと実現した。その代償は大きく、幕府が守った北方領土/竹島を実効支配され、沖縄/小笠原すら一時失った。

次のブログにつづく。

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