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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(4-5)

前ブログからつづく。

田邉太一は更につぶやく。
<明治の政治家の本質>
生野の挙兵で思いだした。甥田邉朔郎の岳父、北垣国道は若い頃、郷士"北垣普太郎"と言った。大和(天誅組)の挙兵に呼応して幕府「生野の銀山」を襲撃した。近隣の農民を組織し、福岡藩士平野国臣と組んで長州に落ち延びていた七卿落ちのひとり、沢宣嘉を長州まで迎えに行って生野で擁立し、襲撃したものだ。後の内務次官であるが、これが長州の政治家だ。

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薩長の天皇私物化への非難

田邉太一はつぶやく。
<薩長による天皇の私的利用>
徳川慶喜が尊皇精神を発揮して国家のために大政奉還した。しかし薩長は自分たちのために尊皇と称して天皇を私物化した。平安時代の藤原氏による天皇私物化にも似ている。天智天皇を助けて大化の改新と称する武力クーデターによって政権をとった藤原氏が、天皇家と深い関わりを形成して、平安時代に天皇家を私物化した。これと明治の薩長政府はよく似ているのだ。

田邉太一は更につぶやく。
<薩長による天皇の私的利用(2)>
生野の挙兵→蛤御門の戦い→長州戦争(一次~二次)→伏見鳥羽街道の戦い→東北戦争→函館戦争と続く一連の戦争は、東軍対西軍の戦争であり、戦国時代の再現だった。関が原の戦いにおいては、総大将毛利を頂く西軍が負けたが、この西軍が270年振りに勝利した。勝利の結果、天皇を東京へ拉致し奉って私物化し、自分たちの中央集権国家に利用した。

田邉太一は更につぶやく。
<薩長の天皇制の利用を怒る>
鎌倉時代から続く政治に直接関与しない天皇制は、日本独特の優れた政権交代システムだ。薩長はこれを破壊してしまった。薩長は自分達の権威を守るために天皇を江戸に拉致申し上げたのだ。しかも拉致とは言わず、自らの御意思で東京へおいでになったというシナリオを捏造した。自分達を尊皇開国だったと称し、幕府を蔑皇鎖国であったと言ってすり替えた。

次のブログにつづく。

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