トップページ
税理士 会計士 行政書士 司法書士 社労士
弁護士 弁理士 中小企業診断士 経営コンサルタント 保険代理店
HOME > 経営コンサルタント > 有限会社 田辺コンサルタント・グループ > ブログ > 男爵枢密顧問官正二位北垣国道が田邉朔郎の岳父

メイン

男爵枢密顧問官正二位北垣国道が田邉朔郎の岳父の記事一覧

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(4)

前ブログからつづきます。

「哲学の道」として知られる疏水べりの道は、この支線の東山の裾部分です。現在この支線の水は埋設鉄管により、ほぼこのルートに沿って京都工芸繊維大学の南に位置する松ヶ崎浄水場へ送られます。だから機能的には不要です。しかし景観保存のために銀閣寺の辺りまで必要最小限度の水が確保されています。それから先は廃線されました。

―― 第二疏水は飲料水確保が目的です。大津からインクライン上部まで一直線にトンネルで結びます。流量は毎秒約15立方メートルです。舟は通れません。第一疏水の22年後に完成しました。

―― 琵琶湖疏水の内、すでに利用されなくなった部分が観光地として幹線水路よりも有名です。すなわち、「インクライン」、「哲学の道」、及び「南禅寺の水路閣」です。だから、京都の疏水と言えば小さな小川ぐらいに誤解されています。

次ブログへつづきます。

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(4)の続きを読む ≫

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(3)

前ブログからつづきます。

京都市内では南禅寺から平安神宮の大鳥居の前を過(よぎ)って鴨川に至り、そこで南に方向を変えて京都の中心部を鴨川沿いに下り(南行)、京都駅の近くで新幹線を下って伏見に至ります。

―― 京都市街地に顔を出す三条蹴上で、ウエスチン都ホテル京都の前の落差、薬0メートルを利用して発電が行なわれています。大津から京都に達した舟は、この落差をインクラインと称するケーブルカーで上げ下げされる。インクラインは、大東亜戦争敗戦まで利用されていました。現在永久保存の処置がとられています。

―― この外に支線があります。インクライン上部から南禅寺境内をローマ水道橋様式の水路閣で横切り、トンネルで永観堂をくぐって若王子神社にでます。そこから東山裾を、法然院、銀閣寺と辿って白河を潜り、京大農学部の北を通って京都工芸繊維大学繊維学部の南で高野川の下をくぐり、下加茂神社の北を通って植物園の南で加茂川を潜り、同志社大学の北を通って大徳寺の南で堀川に注ぎます。全長は約6キロメートルです。

次ブログへつづきます。

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(3)の続きを読む ≫

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(2)

前ブログからつづきます。

京都の琵琶湖疏水を最初に説明します。拙著「びわ湖疏水にまつわる、ある一族のはなし」のプロローグ(びわ湖疏水の概要)を、言葉つかいの修正等だけ加え、略そのまま紹介します。

―― 琵琶湖疏水とは、今から120年前に作られた、琵琶湖から京都市へ水を運ぶ用水路です。2011(平成23)年の現在、京都市が世界遺産登録を目指しています。第一期工事とも言うべき第一疏水と、後に造られた第二疏水からなります。

―― 第一疏水は、交通、感慨、動力、飲料水確保など多目的です。全長約20キロメートル、流量は毎秒約8立方メートルです。舟が通れる構造をとり、滋賀県大津市から山科を経由して京都市三条蹴上のウエスチン都ホテル京都の前で京都市内に注ぎます。

―― 途中にトンネルが4箇所あり、その総延長は約4キロメートルです。その中で最長のトンネルは、大津・山科間の長等山トンネルであり、約2.5キロメートルです。

次ブログへつづきます。

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(2)の続きを読む ≫

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(1)

京都の観光名所、南禅寺の水路閣とインクラインを御存知でしょう。琵琶湖疏水の一部です。すでにインクラインも水路閣も当初の使命は終えて観光資源として活用されているものです。

―― インクラインの上に田邉朔郎の立像が建っています。また、平安神宮の西、夷川発電所の前に北垣国道の立像が建っています。

―― この二人が義理の親子であることを御存知でしょうか。北垣国道の長女、静子が田邉朔郎の妻です。

―― そして朔郎の家督を継いだ田邉多聞が私田邉康雄の父親です。即ち北垣国道は私田邉康雄にとって曽祖父に当たります。

次ブログへつづきます。

京都の命の水、琵琶湖疏水の設計者、田邉(辺)朔郎とそれを命じた正二位男爵枢密顧問官北垣国道が義理の親子 ― 子孫が語る(1)の続きを読む ≫

アーカイブ

最近のエントリー

このページのトップへ