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田辺太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(3-5) ― 子孫が語る。

徳川幕府のNo.1"職業外交官"田邉太一の生き方を尊敬する子孫が、太一に代わって太一の本音を想像して「つぶやき」の形で紹介しています。

(7) これよりの後、安藤閣老のこときは、其天資の聡明と、應變の機智に富めるより、外交上やゝ見るべきものあるかことしといへとも、畢竟井伊元老の後を承けて、かの鎖攘の息攘を奈何とするも能はす、剰へ、和宮降嫁の事よりして、鎖攘の預約、益固く朝廷との間に結ばれたるを見る、
井伊の後の幕閣トップは老中對馬守安藤信正だった。安藤は生まれつき聡明であり、臨機応変の心得をもっていたので外交上少しは見るべきものがあったが、井伊が天皇に約束した鎖国攘夷の縛りはどうすることもできなかった。その上に天皇の妹、和宮の将軍家への嫁入りを迎えて、益々天皇の御希望、鎖国攘夷を硬く約束する羽目に陥ってしまった。見ていて苦しい。

(8) ここに於て、幕府の困厄彌甚だしを生せり、これよりその後、幕府は朝廷の譴責と浪士の横議との制せられ、首を畏れ尾を畏れ、外国と朝廷との間に介して、彷徨行ところを知らず、其志す所は如何の所にあるやを知らすといへとも、其圖る所行ふところ、一として鎖攘をなし遂け、以て朝意を達せんとするにあらさるはなし、
外国から受ける開国圧力と、天皇から受ける攘夷との板ばさみになった幕府は哀れだった。幕府は薩長の策略によって右往左往させられ、何にか知らねど恐れおののき、外国と天皇との間をうろうろと彷徨い、行ったことは結局、鎖国攘夷を成し遂げて天皇の御意志に沿おうという政策になってしまった。自分で自分のやっていることが分からなくなってしまったのだ。

次ブログへつづきます。

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