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田辺(田邉)太一蓮舟のつぶやき 翁の著書:幕末外交談から(2-15)

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私は長崎から江戸に戻り林大学頭の周旋によって外国奉行所に職を得た。ペリー来航の直後だったので仕事は山ほどあった。最初は、記録を作成したり、原案を書き写したりの単純な仕事だったが、次第に自分の考えで進めるような仕事をもらった。そしてスピード出世して父石庵と同額俸禄200石取りの組頭になった。厄介の身から晴れて幕臣である。徳川には恩義がある。

<国益優先>
昌平坂学問所で得た世界情勢に関する知識と長崎海軍伝習所で得た欧州の技術知識が役に立った。鎖国を続けていたら、欧米列強の植民地にされることは火を見るよりも明らかだった。薩英戦争と長州四カ国戦争は、これらの処置を幕府が誤ると清国のアヘン戦争の二の舞となるところだった。尊王攘夷を振りかざす薩長を抑えて列強と上手に交渉したのは幕府だった。

<二度の遣欧使節 ⇒ 二度とも譴責>
私は得た地位の保身には走らず、自分のことよりも国家のことを考え、植民地にされないことだけを考えた。代々儒学を修めてきた家に生まれたものとしては当然の倫理であった。国益を考えて行動した結果、2度も職を解かれた。しかし短期間で復職をゆるされた。私利私欲で動いたのではなくて、国家のために思うところがあって動いたので評価されたと思う。

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