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徳川宗家と柳営会-25。京都琵琶(びわ)湖疏水の建設者、祖父田邉(辺)朔郎は直参旗本だった。

「書院」は将軍の公務の場ですから、書院番は、将軍の御尊顔を垣間見ることが日常茶飯事だったようです。それだけに出世のチャンスが多かったと聞きます。将軍に対して距離的に近い位置に勤務していた役として「小姓組」という番方もありますが、これも出世チャンスがあったそうです。書院番と小姓組を合わせて「両番」と言い、これに就くことにできる家禄を持っている家を「両番筋の家」と言ったそうです。

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