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NHK歴史秘話ヒストリア~明治の京都復興物語、大河ドラマ「八重の桜」の山本覚馬と田邉朔郎

昨夜(2013AUG28)NHK総合「歴史秘話ヒストリア」番組において大河ドラマ「八重の桜」にでてくる八重の兄、山本覚馬とともに田邉朔郎が紹介されました。

私も視聴しましたが、番組の骨子は以下の通りでした。

京都は、幕末動乱(禁門の変)において焼野原となり、かつ、天皇陛下が東京へ御移り(遷都宣言の無い遷都)になって衰退した。これを山本覚馬は、「外国人観光客」の誘致により、つづいて田邉朔郎は一兆円プロジェクト、琵琶湖から京都へ「多目的運河」(琵琶湖疏水)の建設により京都を復興させた。朔郎は、日本初の売電事業用水力発電を成功させ、日本初の電気鉄道を可能にした。前者の「外国人観光客の誘致」は、現在の「国際観光都市京都」、後者の「琵琶湖疏水」は「先端科学技術都市京都」の礎になった。

田邉朔郎は、後に北海道の鉄道敷設、世界初の海底鉄道(関門トンネル)、新幹線計画など82歳で亡くなるまで第一線で活躍した。

以上が番組内容の要約でした。

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柳営会とは(19)・・・幕臣子孫の会

その際、書下し方針として以下のルールを定めました。即ち、訳出原本から判読不明として○○の状態になっていたところを推定して記入し、かつ、全体を翻訳した。翻訳に当たっては、この人名辞典は、本人が書いて幕府に提出した履歴書であると想定して訳出した。【 】内は、訳者による追加説明しました。

田辺孫次郎
高現米八十石 本国越前 生国武蔵 祖父田辺了水(次郎大夫) 死御書院与力相勤申候父田辺新次郎死富士見御宝蔵番相勤申候

【六代】田辺孫次郎
自分の【家禄】高は現米80石でございます。祖先の出身は越前の国であり、生まれは武蔵の国でございます。
自分は、祖父田辺次郎大夫(了水)が死亡後家督相続して『御書院与力』を勤めておりました父田辺新次郎が死亡後家督相続して『富士見御宝蔵番』を勤めております。

注)1
田辺次郎大夫(了水)とは、1835〔天保6〕年に歿した四代田邉次郎大夫克忠〔法名:釈了水、享年79歳〕の事。

注)2
田辺新次郎とは、1856〔安政3〕年に歿した五代田邉新次郎誨輔石庵〔法名:釈了石、享年76歳〕の事。

○○月七日従部屋住御書院与力見習罷出 同(天保)十一子年四月十一日御抱人与力被仰付幕府講武所西洋砲術教授方出役

自分孫次郎は、○○月七日に『部屋住』から『御書院与力見習』に罷り出て、同(天保)十一子年【1840年】四月十一日に、『御抱人与力』を拝命し、幕府『講武所』西洋砲術教授方として出役いたしました。

家督奉願候ニ付 同(安政)四巳年十一月六日願之通仮御許受 同五牛年ニ月四日家督被下置

父新次郎が死亡したので、自分孫次郎は家督を相続させてほしいと願い出て、同(安政)四巳年【1857年】十一月六日に願いの通り、仮にお許しを受け、同五牛年【1858年】二月四日に正式に家督相続させていただきました。

如父時小普請組大島丹波守組江入是迄之通引続相勤 其後組頭替 戸田民部組江入 万延元甲年十月○○日富士見御宝蔵番被仰付○○是迄之通引続出役相勤被仰渡候

家督相続した後、自分は父新次郎が【昌平坂学問所へ出役】させていただいた時のように、『小普請組』大島丹波守の組へ入り、これまで通り引き続いて【講武所へ】出役いたしました。その後『小普請組』戸田民部様の組へ組替えとなりました。
万延元甲年【1860年】十月○○日に『富士見御宝蔵番』を拝命し、○○是迄の通り引き続き【講武所へ】出役し、相勤めよと仰せ渡せられました。

この「柳営会とは」の項をお読みになって、「柳営会会員資格がある」と思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。

「柳営会とは(20)」へつづきます。

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京都「在住・出身」の方へ  NHK歴史秘話ヒストリアを見てください。

NHK大河ドラマ「八重の桜」を御覧になっている方に案内申し上げます。「八重」の活躍舞台は、会津戦争から京都に移ります。明治天皇が東京に御移りになって衰退した京都の復興計画の最中でした。これに八重の兄、山本覚馬が尽力しました。八重は覚馬に呼ばれてこの時期の京都に移りました。「女紅場」で働きましたが、キリスト教信者の新島襄との出会い、婚約したために馘首されました。仏教勢力の圧力によるものでした。

「女紅場」の末裔が京都府立鴨沂高校であり、現在その歴史的建造物の保存活動が京都において進められており、私も支援していることは、このFBで何度も紹介している通りです。

京都復興の締めくくりは、琵琶湖から水を引く運河の建設です。これを京都では「疏水」と言います。この琵琶湖疏水の「設計・工事」担当者は田邉朔郎といい、私の祖父です。この度、NHKから依頼を受けて我が田辺家から朔郎の録音盤を貸出しました。疏水建設40周年(1930年)に当たって当時のNHKから全国に放送されたものです。

なお、疏水工事の財源を確保して工事を推進したのは、第三代京都府知事北垣国道と云い、私の曽祖父です。国道は「同志社」設立にも協力しました。リスト教を排除する仏教関係者の反対の声が上がる中、長女、静子を入学さて支援姿勢を明確にしました。これにより、「同志社」計画は円滑化しました。静子は後に田邉朔郎と結婚し、私の父親田邉多聞を生みました。

北垣国道知事京都復興に成功し、北海道の開拓にも成功して後に内務省次官から男爵枢密顧問官となり、思い出の地「京都」で没しました。墓は金戒光明寺(黒谷)にあります。


明後日(2013年8月28日【水】)午後10時から始まるNHK総合歴史秘話ヒストリアにおいて貸し出した録音盤により祖父田邉朔郎の声を聴いていただけるものと期待しております。なお私の理解によりますと、歴史秘話ヒストリアは、大河ドラマの背景を解説する番組であることが多いので、今回もそれだと思います。

NHKのホームページによると以下の記載がありました。

<番組内容>
明治初め、千年の都・京都は首都の座を東京に奪われ大ピンチに。起死回生の策は外国人を呼び込む博覧会と町あげてのおもてなし作戦。美しき都・京都の知られざる復興物語。

<詳細>
年間50000万もの観光客でにぎわう美しき都・京都。しかし、明治初め、京都は幕末の動乱で焼け野原となり、天皇が東京に移ったことで荒廃していた。復興のために人々が考えたのは外国人客を呼び込む「大博覧会」。さらに外国人専用特別メニューを作るなど町をあげてのおもてなし作戦を展開。仕上げは予算1兆円の大運河プロジェクト。それは京都独特の美しい景観の礎となった。千年の都・京都の知られざる復興物語。

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柳営会とは(18)・・・幕臣子孫の会

「柳営会とは(17)」からつづきます。「柳営会」を簡単に言うと「幕臣子孫の会」です。

 前回は、私から7代遡った田邉次郎大夫貞斎の墓碑を紹介しました。今回は、5代遡った田邉石庵を紹介します。『大日本人名辞典(三)』講談社、昭和55年8月10日第一刷発行の『タナベ セキアン』の項をそのまま引用します。

田邊石庵 儒者、名は誨輔、字は季徳、號は石庵、通称は新次郎(一に晋二郎に作る)、尾張の人なり。もと村瀬氏、少なうして秦鼎に従いて学ぶ。會々藩士(幕臣の誤り)大番与力田邊次郎太夫(克忠)養うて子と為す。後、昌平黌出役となり出役中甲府徽典館学頭となる。自抄の史多し。當時唐本の舶来極めて少なく、殊に清人の著述は少中の少なり。石庵謂へらく、隣国現今の形勢を知るは急務なりと。清の地志及び清人の詩人の文詩集その他雑書に就き左右採擷(択?)し、以て八百餘人の清朝名臣名士傳を撰す。世に傳ふるところの清名家小傳これなり。また文を学ぶもの或いは近世の文を見る能はざるを憐み、其の正しきものを撰び清の朱竹拕より遡って明の帰震川、王遵岩、唐荊川、王陽明、方正学、宋潜渓の文粋を編せり。著す所他に続左傳合案、史漢合解、国策論文、清名家外傳等あり。また書を弄ぶ。安政三年十二月十二日歿す。年七十六、二子あり長男孫次郎、號は勿庵(堂の誤り)。西洋流花術を以て世に顕はる。早く死す。子あり朔郎といふ。次男太一、號は蓮舟。石庵の墓は浅草區東本願寺本堂の裏にあり(吉田賢輔氏編)。


この「柳営会とは」の項をお読みになって、「柳営会会員資格がある」と思い、かつ、入会したいと思う方は私田邉康雄に御連絡ください。入会資格があるかも知れないと私が思った場合は、柳営会の事務局へ紹介申しあげます。


「柳営会とは(19)」へつづきます。

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日韓歴史問題の生き証人一家が、現在の日韓関係を嘆く。

阿比留瑠比様の韓国に関する投稿にコメントを入れたところ、これをお読みになった方から友達リクエストを頂き、さらに御祖父様が朝鮮総督府でお仕事をされていたと知りました。そこでその方に以下の文面の返信をFBを通じて送信しました。普遍的な内容ですので、私のタイムラインに投稿しました。以下の通りです。

―◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
友達リクエストをありがとうございました。承認を返信させていただきまた。どうぞよろしくお願い申し上げます。

御祖父様が外交官として朝鮮総督府でもお仕事をしておられたと伺いました。では私の一族の朝鮮総督府等における仕事を紹介申し上げます。私の父親田邉多聞は、大東亜戦争敗戦時朝鮮総督府交通本局釜山地方交通局長でした。昭和20年9月に米軍が朝鮮半島38度線以南に進駐した際、朝鮮総督府の阿部総督以下局長以上の役職を米軍人で継承しました。

そして38度線以南に住む100万人の日本人を昭和20年末までに全員日本に送還するプロジェクトを開始しました。朝鮮を早期に独立させる意図がありました。父はその送還プロジェクトリーダーを米軍から拝命しまし、首尾よくやり終えて20年12月20日に日本に帰国しました。御褒美として局長官舎にあった全家財道具を軍のトラック2台で京都の実家まで運んでくれました。そして父親はステッキ一本で恰好よく帰国できました。今私が所持している母の嫁入り道具の桐製桑張り箪笥は、その時持ち帰ってきたものです。

さて総督府を引き継いだ米軍は、1~2年掛けて朝鮮人にポストを順次引き継ぎました。そして米国に亡命していた李承晩を総督にもってきて後に大統領としました。今の韓国は、日本統治時代の組織をそっくりそのまま引継いでスムーズに独立できました。独立に当たって日本が京城帝国大学(現ソウル大学)で育成し、総督府や朝鮮殖産銀行(現韓国産業銀行)で日本人と差別なく働いていた人材が大活躍しました。

因みに、朝鮮殖産銀行においては、給与面と処遇面において日本人と朝鮮人の差をまったく付けなかったので、京城帝国大学卒の朝鮮人最優秀者が続々と入行したそうです。付け加えると、その時の頭取は有賀光豊であり、私の母方祖父に当たります。常々有賀光豊は言っていました。「日本が朝鮮半島の方々に自立できるよう力を付けて上げて、朝鮮半島の方々にお返しすることを目標としている」と。

話もどって戦時中には釜山の軍事設備や埠頭意外は米軍の空襲を受けず、日本が残した社会基盤をそのまま引継いでスムーズに出発した独立大韓民国でしたが、昭和25年に北の朝鮮人民共和国の軍事進攻を釜山まで受けて国土が荒廃しました。

その後は低迷していましたが、昭和40年朴正煕大統領の時に日本との国交回復がなり、日本が多額の経済協力金を出し、浦項製鉄所建設技術協力と京釜道路建設をした結果、復興が始まりました。簡単にいうと、朴正煕大統領が日本時代の人脈を活用して日本を支援を引き出し、大発展の基礎を築きいたものです。そして今日があります。

因みに浦項製鉄所建設技術協力プロジェクトリーダーは、有賀敏彦と言い、朴大統領の時代には良好な関係を保っていました。前述の有賀光豊の三男で、私の叔父に当たります。2010年に韓国の東塔産業勲章を受章しました。

以上のような日韓の歴史を知っている私にとって、なぜ今日のような好ましからざる関係になったのか、とても理解できません。因みに有賀光豊は、日韓併合時代の韓国に渡り、私の母親は北朝鮮の(鎮)南浦で生まれました。日韓関係の生き証人のような、私の一族はこのことを嘆いております。

―◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以上が文面です。

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NHK大河ドラマに出た「女紅場」とその末裔、鴨沂高校

本日20:00開始のNHK大河ドラマ「八重の桜」において鴨沂高校が出てきました。女主人公の山本八重は會津戦争を終えて兄の山本覚馬を頼って京都に移住し、京都では「女紅場」で働きました。これは日本最初の女性教育施設です。後に日本最初の「女学校」となり、さらに日本最初の「高等女学校」となりました。即ち、京都府立第一高等女学校であり、「京都第一高女」として有名です。ドラマにおいては、「女紅場」の末裔としての鴨沂高校が、その由緒ある門構えとともに映像で紹介されました。来週の次回においては、再度紹介される予定です。

この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの皇室ゆかりの「梨の木神社」やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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NHK大河ドラマに出た「女紅場」とその末裔、鴨沂高校

本日20:00開始のNHK大河ドラマ「八重の桜」において鴨沂高校が出てきました。女主人公の山本八重は會津戦争を終えて兄の山本覚馬を頼って京都に移住し、京都では「女紅場」で働きました。これは日本最初の女性教育施設です。後に日本最初の「女学校」となり、さらに日本最初の「高等女学校」となりました。即ち、京都府立第一高等女学校であり、「京都第一高女」として有名です。ドラマにおいては、「女紅場」の末裔としての鴨沂高校が、その由緒ある門構えとともに映像で紹介されました。来週の次回においては、再度紹介される予定です。

この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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NHK大河ドラマに出た「女紅場」とその末裔、鴨沂高校

本日20:00開始のNHK大河ドラマ「八重の桜」において鴨沂高校が出てきました。女主人公の山本八重は會津戦争を終えて兄の山本覚馬を頼って京都に移住し、京都では「女紅場」で働きました。これは日本最初の女性教育施設です。後に日本最初の「女学校」となり、さらに日本最初の「高等女学校」となりました。即ち、京都府立第一高等女学校であり、「京都第一高女」として有名です。ドラマにおいては、「女紅場」の末裔としての鴨沂高校が、その由緒ある門構えとともに映像で紹介されました。来週の次回においては、再度紹介される予定です。

この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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本日20:00開始のNHK大河ドラマ「八重の桜」において鴨沂高校が出てきました。女主人公の山本八重は會津戦争を終えて兄の山本覚馬を頼って京都に移住し、京都では「女紅場」で働きました。これは日本最初の女性教育施設です。後に日本最初の「女学校」となり、さらに日本最初の「高等女学校」となりました。即ち、京都府立第一高等女学校であり、「京都第一高女」として有名です。ドラマにおいては、「女紅場」の末裔としての鴨沂高校が、その由緒ある門構えとともに映像で紹介されました。来週の次回においては、再度紹介される予定です。

この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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NHK大河ドラマに出た「女紅場」とその末裔、鴨沂高校

本日20:00開始のNHK大河ドラマ「八重の桜」において鴨沂高校が出てきました。女主人公の山本八重は會津戦争を終えて兄の山本覚馬を頼って京都に移住し、京都では「女紅場」で働きました。これは日本最初の女性教育施設です。後に日本最初の「女学校」となり、さらに日本最初の「高等女学校」となりました。即ち、京都府立第一高等女学校であり、「京都第一高女」として有名です。ドラマにおいては、「女紅場」の末裔としての鴨沂高校が、その由緒ある門構えとともに映像で紹介されました。来週の次回においては、再度紹介される予定です。

この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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NHK大河ドラマに出た「女紅場」とその末裔、鴨沂高校

本日20:00開始のNHK大河ドラマ「八重の桜」において鴨沂高校が出てきました。女主人公の山本八重は會津戦争を終えて兄の山本覚馬を頼って京都に移住し、京都では「女紅場」で働きました。これは日本最初の女性教育施設です。後に日本最初の「女学校」となり、さらに日本最初の「高等女学校」となりました。即ち、京都府立第一高等女学校であり、「京都第一高女」として有名です。ドラマにおいては、「女紅場」の末裔としての鴨沂高校が、その由緒ある門構えとともに映像で紹介されました。来週の次回においては、再度紹介される予定です。

この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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本日20:00開始のNHK大河ドラマ「八重の桜」において鴨沂高校が出てきました。女主人公の山本八重は會津戦争を終えて兄の山本覚馬を頼って京都に移住し、京都では「女紅場」で働きました。これは日本最初の女性教育施設です。後に日本最初の「女学校」となり、さらに日本最初の「高等女学校」となりました。即ち、京都府立第一高等女学校であり、「京都第一高女」として有名です。ドラマにおいては、「女紅場」の末裔としての鴨沂高校が、その由緒ある門構えとともに映像で紹介されました。来週の次回においては、再度紹介される予定です。

この京都第一高女は、大東亜戦争敗戦後の新学制によって「京都府立鴨沂高等学校」となりました。昭和十年頃に建設された鉄筋コンクリート造の建物ですが、女子学生が学ぶために女子に適した造りになっています。例えば階段ステップの高さは通常の2/3です。また御所の隣に建っているので、屋根は入母屋造りで、御所のみならず近くの梨の木神社やその他の寺院とも景観的にマッチしています。

最近、鴨沂高校の歴史を深く検討もせずに解体すると京都府教育委員会が結論をだしたそうです。これに対して卒業生の中の識者が「検討もせずに結論をだすことには反対する」と表明しています。そして私もその反対運動を支援しており、反対署名活動を受けて署名しました。支援理由は、「歴史は京都の観光資源であり、それは歴史的建造物と歴史物語とからなる。鴨沂高校の建屋は歴史的建造物であると同時に、歴史物語を背負っている」と言うものです。

支援している私は、鴨沂高校の卒業生です。しかし卒業生だからという理由だけで支援しているものではありません。前述の「女学校」設立に際して時の京都府知事北垣国道が多大な支援をしました。北垣国道は、明治維新の天皇東下により衰退した京都の復興に尽くしましたが、その一環でした。その北垣国道が嘆くと思うので支援しています。

北垣は自分のことよりも京都のことを常に思っていました。ですから銅像の少ない京都において国道の銅像が立っています。私も卒業した高校だから支援している訳ではありません。京都の発展のために支援しております。なお私は北垣国道の曾孫ですが、それが支援の理由ではありません。京都のために支援しているものです。即ち、京都の歴史的景観保護のために支援しています。京都は古いものを残し、かつ、京都大学を中心として最新の学問を育む、日本の宝です。ですから日本の為に支援しております。

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